バッチ博士の生涯
現在、世界中で愛用されているバッチフラワーレメディは、20世紀初頭、英国の医師でホメオパシー医でもあったエドワード・バッチ博士が生み出しました。バッチ博士は、「人間の気質や感情が病気を引き起こしている」という
洞察に基づいて、人それぞれが抱えている気質や感情の不調和な部分を調和の取れた状態にするために、シンプルで
ナチュラルな方法を模索しました。そして、太陽の光、野生の植物、湧水といった自然の恵みの中に、私たち人間の
治療薬があることを発見しました。
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◆医学の道を志し、医師となって実績を積む
西暦 | 年齢 | 年譜 |
1886 | 0歳 | 9月24日、イギリス、ウォーリックシャー州バーミンガム郊外のモズリーに生まれる。 |
1902 | 16歳 | モズリーのウィンターロー・スクールを卒業。 |
1903 | 17歳 | 医学の道に進むことを決心する。 医学校進学の学費を作るために、父親が経営する鋳造工場で3年間働く。 ウォーセスターシャー義勇騎兵隊に入隊する。 |
1906 | 20歳 | バーミンガム大学医学部に入学する。 |
1912 | 26歳 | バーミンガム大学医学部を卒業する。 外科医の学位(M.R.C.S.)を取得する。 内科医の学位(L.R.C.P.)を取得する。 ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院に研修生として入局する。 |
1913 | 27歳 | 医学学士号の学位(M.B.)を取得する。 理学学士号の学位(B.S.)を取得する。 ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院の救急医療担当官になる。 同年末には、国立更生病院にも所属する。 |
1914 | 28歳 | 公衆衛生博士号(D.P.H.)の学位を取得する。 第一次世界大戦が勃発する。 医療の中心地であるハーレー街に診療所を開設する。 免疫学に関心を寄せる。 ユニバーシティ・カレッジ病院で細菌学者のポストに就任する。 人間の腸内細菌が生産する毒素が、慢性病の原因となっていることを発見する。 人間の腸内細菌から作ったワクチンを使って、慢性病患者の症状を改善することに成功する。 |
1917 | 31歳 | 戦争で負傷した人々のために休むことなく診療に携わる。 極度の疲労が重なり、病院の研究室で大出血を起こして倒れ、昏睡状態に陥る。 緊急手術を受けて意識を回復するが、末期の胃癌と診断されて、余命3か月であると申し渡される。 体調が回復しないまま病院の研究室に戻り、再び研究や診療に没頭する。 バッチ博士の研究室の灯光は、“The light that never goes out”「永遠に消えない光」と呼ばれる。 奇跡的に癌を克服する。 |
1918 | 32歳 | インフルエンザが大流行し、バッチ博士が実施した予防接種が数千人の命を救う。 ユニバーシティ・カレッジ病院を退職する。 ノッティンガム・プレイスに小さな研究所を開設する。 |
1919 | 33歳 | 王立ロンドン・ホメオパシー病院の病理学者および細菌学者のポストに就任する。 ホメオパシーの創設者ハーネマンの著書“The Organon of Medicine”(医学原論)を読む。 これまでの研究がハーネマンのホメオパシー理論と似ていることに気付く。 腸の毒血症(腸内のある特定の桿菌が生産する毒)について研究を深める。 慢性病を起こしうる多種類の腸内桿菌を「7つのバクテリア・グループ」に分類する。 1.Proteus(プロテウス菌) 2.Dysentery(赤痢菌) 3.Morgan(モルガン菌) 4.Faecalis Alkaligenes(アルカリ大便菌) 5.Coil Mutabile(変形大腸菌) 6.Gaertner(ゲルトネル菌) 7.No.7(第7菌) 7つのバクテリア・グループは、7つの人間性(性格や感情のタイプ)に符合することを発見する。 慢性病患者の人間性(性格や感情のタイプ)に合わせてノソードを決めるという治療法を発見する。 7つの経口ワクチン“The Seven Bach Nosodes”(バッチの7大ノソード)を開発する。 ※ノソード(Nosode)とは、疾病から獲得された治療物質を意味する。 |
1920 | 34歳 | ロンドン・ホメオパシー学会の会報で「ワクチン療法とホメオパシーの関係」と題する論文を発表。 |
1922 | 36歳 | 王立ロンドン・ホメオパシー病院を退職する。 ポートランド・プレイス、パーク・クレセントにある大研究所に移る。 |
1924 | 38歳 | ロンドンで開催された英国ホメオパシー学会で「癌と腸内毒血症の関係」と題する論文を発表する。 腸内毒素の生産量を減らすために、未調理の食物(野菜、果物、雑穀、ナッツなど)を摂るように 提案する。 |
1926 | 40歳 | フィーラー博士との共著『慢性病−有力な仮説』を出版する。 |
1927 | 41際 | ロンドンで開催された国際ホメオパシー学会で「乾癬と腸内毒血症との同一性」に関する論文を発表する。 |
1928 | 42歳 | ロンドンで開催された英国ホメオパシー学会で「乾癬の再発見」と題する論文を発表する。 この講演で「近い将来、新しい相乗法が見つかるでしょう」と述べてフラワーレメディの発見を予見する。 |
◆フラワーレメディとなる最初の19種の花“The First Nineteen”を見つける
1928 | 42歳 | 9月下旬、突然ウェールズに赴き、直観の導きに従ってインパチェンスとミムラスの花を見つける。 その後、クレマチスの花を見つける。 |
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1929 | 43歳 | バクテリア・ノソードによる治療から、野草による治療に切り換える決意をする。 研究所と診療所を閉鎖し、医師としての地位と名誉を捨てて、ロンドンを離れる。 |
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1930 | 44歳 | ウェールズやイングランドの南部、東部など、何千キロという道のりを、人や自然を観察しながら、 放浪の旅に出る。 ウェールズの小さな村に滞在し、フラワーレメディに適した植物を探索する。 太陽の光を浴びた花の露は、その花の波動的性質を帯びていることを発見する。 自然の湧水を入れたガラス製のボールに特定の植物の花を浮かべ太陽の光を当てるという方法を見いだす。 このフラワーレメディの製法を太陽法(The Sun Method)と呼ぶ。 海沿いの小さな村アベルソクに滞在し、海沿いの植物を探索する。 “Heal Thyself”(なんじ自身を癒せ)の原稿を執筆する。 ノーフォーク海岸にある海沿いの小さな町クローマーに滞在する。 数多くの人々を観察して「12のおもな心理状態」(twelve outstanding states of mind)を見いだす。 1.Fear(恐れ) 2.Terror(非常に強い恐れ) 3.Mental torture or worry(心の苦しみ、心配) 4.Indecision(優柔不断) 5.Indifference or boredom(無関心、退屈) 6.Doubt or discouragement(疑い、落胆) 7.Over-concern(過度な心遣い) 8.Weakness(気弱さ) 9.Self-distrust(自己不信) 10.Impatience(短気) 11.Over-enthusiasm(過度な熱中) 12.Pride or aloofness(プライド、よそよそしさ) ノーフォークの海岸沿い、川岸、沼地、クローマーの原野などを歩きまわり、植物の探索を続ける。 8月にアグリモニー、チコリー、バーベインの3つの花を見つける。 海辺の大きな屋敷の庭に咲いていたセラトーの花を見つけ、レメディとしての効果を確認する。 セントーリーの花を見つける。 9月に収穫後の麦畑に生い茂るスクレランサスの花を見つける。 |
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1931 | 45歳 | これまでに見つけた9種のフラワーレメディを使って患者の治療を行なう。 2月に“Heal Thyself”(なんじ自身を癒せ)を出版する。 3月にクローマーを離れ、ウェールズに向かう。 6月に旅先のサセックス州で、川の中に生い茂るウォーターバイオレットの花を見つける。 9月に旅先のケント州、ピルグリム街道の丘陵でゲンチアナの花を見るける。 冬に備えてクローマーに戻り、翌年の春まで患者の治療に専念する。 |
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1932 | 46歳 | 友人や患者からの強い要望により、ロンドンのウィンポール街に診療所を開設する。 『自己の解放』(Free Thyself)の原稿を執筆し、秋に出版する。 ロンドンで2ヶ月ほど過ごした後、都会の空気と喧噪にストレスを感じ、ケント州に旅立つ。 ケント州ウェスターハム近郊の田園地帯で、原野を一面に覆っているロックローズの花を見つける。 これまでに見つけた12種のフラワーレメディが「12種の心理状態」に対応することを確認する。 これまでに見つけた12種のフラワーレメディを“The Twelve Healers”(12のヒーラー)と名付ける。 冬に備えてクローマーに戻り、患者の治療に専念する。 |
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1933 | 47歳 | 1月にクローマーを離れ、テムズ川の河畔にある小さな町マーロウに滞在する。 この地域の至るところに群落を作っているゴースの花を見つける。 “The Twelve Healers”(12のヒーラー)の原稿を執筆し、小冊子の形で印刷する。 オークの花を見つける。 オークの花を採取するため、この植物が多く育つクローマーに戻り、翌年の春までその地に滞在する ことを決める。 イギリスやその他の国々に、バッチ博士のフラワーレメディが広がり始める。 ロンドンにある大手のホメオパシー製薬会社に、フラワーレメディの原液一式を無償で譲り渡す。 フラワーレメディが、できるだけ安い価格で一般の人々の手に渡るように、製薬会社に依頼する。 ヘザーの花と、ロックウォーター(霊泉の岩清水)を見つける。 ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーターの4種を“Four Helpers”(4種のヘルパー)と名付ける。 秋に“The Twelve Healers and Four Helpers”(12のヒーラーと4のヘルパー)を出版する。 バインの花(スイス産)とオリーブの花(イタリア産)を見つける。 クレマチス、インパチェンス、ロックローズの3つの花を混合してレスキューレメディ(救急薬)を 作る。(レスキューレメディは、後に2つの花が加えられる) |
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1934 | 48歳 | 3月にクローマーを離れる。 次の住み家を求めて、イングランドの南部、サセックス州、ケント州、バッキンガムシャー州などを 放浪する。 4月にバークシャー州ウォリングフォード近郊のソットウェル村(Sotwell)に移住する。 マウント・バーノン(Mount Vernon)と呼ばれる小さなコテージを手に入れる。
6月にソットウェル村近郊でワイルドオートの花を見つける。 ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーター、オリーブ、バイン、ワイルドオートの7種のレメディ を“Seven Helpers”(7のヘルパー)と名付ける。 7月に“The Twelve Healers and Seven Helpers”(12のヒーラーと7のヘルパー)を出版する。 ソットウェル村に、仕事専用の家が助手から寄贈される。 この家は“Wellspring”(水源)と呼ばれる。 これまで見つけた19種の花により、フラワーレメディを完成させる仕事は終わりに近いと感じる。 しかし、まだ網羅されていない特殊な心理状態に対応するフラワーレメディを見つける必要があると 感じる。 |
◆フラワーレメディとなる最後の19種の花“The Second Nineteen”を見つける
1935 | 49歳 | 3月にチェリープラムの花を見つける。 硬い木質の植物からレメディを作る場合は、水を沸騰させた深鍋の中で、植物の成分を煮出す方法を 使う。このレメディの製法を煮沸法(The Boiling Method)と呼ぶ。 半年間で、残りの18種の花を見つける。 エルム、パイン、ラーチ、ウィロー、アスペン、ホーンビーム、スィートチェストナット、ビーチ、 クラブアップル、ウォルナット、チェストナットバッド、レッドチェストナット、ホワイトチェストナット、 ホリー、ハニーサックル、ワイルドローズ、スターオブベツレヘム、マスタード 5月に見つけたホワイトチェストナットは太陽法で、その他の18種の花は煮沸法でレメディを製造 する。 |
1936 | 50歳 | 9月に“The Twelve Healers and Other Remedies”(12のヒーラーとその他のレメディ)を出版する。 完成版となった『12のヒーラーとその他のレメディ』に付けられている7つの見出し: 1.For Fear(不安と恐れ) 2.For Uncertainty(内心の不確かさ) 3.For Insufficient Interest in Present Circumstances(現実への無関心) 4.For Loneliness(さみしさ、孤独) 5.For Those Over-sensitive to Influences and Ideas(人や周囲に敏感すぎる) 6.For Despondency or Despair(失意と絶望) 7.For Over-Care for Welfare of Others(他人のことを気にしすぎる) フラワーレメディを多くの人々に伝えるために、講演旅行の計画を立てる。 50歳の誕生日である9月24日に、ウォリングフォードの町で、フラワーレメディの初めての講演を行なう。 10月末にかけて体力がひどく衰え始める。 ベッドに寝たまま、助手たちに指示を与えたり、患者にレメディを処方したりする。 11月27日、永遠の眠りにつく。 |
■年譜作成にあたり参考にした著書
・ノラ・ウィークス著・林陽訳『心を癒す花の療法』、中央アート出版社、2002年
・P. M. チャンセラー著・青木多香子訳『フラワーレメディ・ハンドブック』、中央アート出版社、1995年
・リチャード・ガーバー著・上野圭一監訳・真鍋太史郎訳『バイブレーショナル・メディスン』、
日本教文社、2000年
・Nora Weeks. The Medical Discoveries of Edward Bach Physician. Cambridge:The C. W. Daniel
Co. Ltd., 2004
・P. M. チャンセラー著・青木多香子訳『フラワーレメディ・ハンドブック』、中央アート出版社、1995年
・リチャード・ガーバー著・上野圭一監訳・真鍋太史郎訳『バイブレーショナル・メディスン』、
日本教文社、2000年
・Nora Weeks. The Medical Discoveries of Edward Bach Physician. Cambridge:The C. W. Daniel
Co. Ltd., 2004